『木更津キャッツアイ』放送開始から一年後に考えたこと
2003.1.5

昨年暮れあたりから、ネット上であちこち「映画化」の話を聞きますが、公式発表があった訳ではないので、そのことについてのコメントは控えようと思ってはいるのですが、そういう話を聞くと、正直複雑な気持ちになります。

というのも、私の個人的な見解としては、『木更津〜』は全9話で完結しているので、今更何をやっても蛇足になってしまうような気がするのです。
もう少し正確に言うと、彼らの『その後』を見てしまったことで失望したくない。彼らは私の中で凄く素敵な想い出になってるのに、それを彼ら自身に壊されたくない、というのが正直なところです。

私が『木更津〜』を見ていて凄く嬉しかったのは、作り手として関わった人々が、このドラマの世界観が大好きで、みんながそれぞれアイディアを出し合って、よってたかってもっと面白いドラマを作ってやろうとしている様子が伝わってきたこと。

『取りあえず人気若手役者を押さえておけ。話は後から考える』
的な、視聴者におもねるようなドラマに飽き飽きしていた私にとって、
「俺達はこれが面白いと思うんだ。ついてこられる奴はついてこい!」っていう、強気なんだか開き直りなんだか良く分からない姿勢で、結局最後まで突っ走ってしまったこのドラマに、敬意を払わずにはいられなかったのです。

このドラマに制作者として関わった人たちも、それを見ていた私たち視聴者も、その全ての人たちがこのドラマを面白くするのに荷担していた共犯者達で、それがあまりにも楽しかったから、いまだにその余韻から抜け出せない。
ドラマの作り手さん達の中にも、「また『木更津〜』の世界を作りたい」っていう人は多いと思うし、それを求めているファンが沢山いるのも分かります。

ただ、続編を求めるその声の裏でファン達は
『続編(あるいは映画もしくはSP)は作って欲しい。でもその中では、昔と寸分変わらないお前達でいろ』という要求を無言のうちにしているのではないかと思うのです。
でも、そんなことが出来るのかなあ? と根がネガティブな私は疑問に思ってしまうわけです。

最終回直後に、公式HPを覗いたら、ドラマのクランクアップから最終回まで一週間もなかったことが分かって、「うわー、すごいタイトなスケジュールだったんだあ。良く無事に放送できたなあ」と驚いた記憶があります。『木更津〜』はロケが多かったし、カット数も通常のドラマの2倍近くあったというから、現場の苦労は並大抵のものではなかったと思います。でも、時間の制約が大きかった分、ドラマ制作現場のドライブ感がストレートにドラマに反映されていて、その熱気にあてられてしまった人たちが、『木更津〜』の中毒患者になってしまったのでしょう。
その強烈な吸引力は、あの時あの場所だったからこそ出せたモノなのだろうから、それを1年以上もブランクを空けて、いきなり再現しろ、と言われたからといって、再現できるようなモノなのかな? というのがまず第一の疑問。

もう一つは主役級の5人がとても若いということ。良い意味で。
彼らは技術的にも経験的にも未完成なところが多かったけれど、そこが魅力でもあって、乾いたスポンジが水を吸い込むように、ドラマの中で互いに影響し会って、ぐんぐん成長していく様子がリアルタイムでこちら側に伝わってきました。
今第一話を見直すと、まだやっぱりみんな固いというか、自分の役柄をまだ完全にはつかみきれず、どう演じようか試行錯誤している感じがするのだけれど、話が進むにつれて、それぞれの個性が確立されてきて、最終話は、ぶっさんはぶっさんにしか見えず、その他のキャラもそのキャラにしか見えなかった。俳優さんの名前じゃなく、役名で呼ぶ方がしっくり行く、そんな感じ。

それだけ若くて、成長著しい彼らだから、『木更津〜』後に経験した仕事や私生活の変化なども全て、彼らの血となり肉となっているはずで、そうした経験の全ては、良くも悪くも彼らに自分では気づかないような変容をもたらしているのではないかと思うのです。20代初頭の一年は大きいよ、ものすごく。
そうした経験をなかったことにして、また昔やっていた役柄をそのまま再現しろ、というのも、やっぱり無理があるのではないかなあ、と思います。だって多分、あの時だったからこそ出来た役だと思うもの。

とかなんとか言いながら、上に書いたようなことが、全部杞憂であってくれればいいのに、とも思うのです。
またあのときのメンツで、単なる焼き直しでも、縮小再生産でもなく、ノリや感性はそのままで、それでいてなお新しい何かをまた見せてくれる日が来てくれればいいなあ、と、そんなことを今は思っています。

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