木更津キャッツアイ 映画化記念

<2003.04.03>


木更津〜〜〜
キャッツ!映画化!
キャッツ!映画化!
キャッツ!映画化!
あ〜〜〜〜 言いにく〜〜い!


と、とってもキャッツメンらしい告知の仕方だった昨晩の放送。
あまりにも「らしすぎ」て、それが嬉しくて、なんだか涙が出そう。

そういうわけで、みなさま既にご承知の通り、映画化決定です。
発表直後の私の微妙な錯乱ぶりは、当HPの掲示板の書き込みに良く表れています。見返してみて、いくら眠かったとはいえ、相当頭悪そうです。私が。
公式発表文はこちら。
ttp://www.tbs.co.jp/catseye/2003movieinfo.html

続編への不安な気持ちもその理由も、あれこれと書いてきた私ですが、こういう形で決定したことであれば、「どうか良いモノを作ってください」と、願わずにはいられません。
彼らの『その後』を描く上で、連ドラパート2と、SPと、映画と、どれが一番いいかと言われたら、やっぱり映画が一番木更津には合っていると思いますしね。
Vシネでもいいけど(笑)。


基本的にテレビドラマいうのは、<一度流れたら終わり>な媒体です。今でこそソフト化されてレンタル店に並べられる機会も増えましたが、それでも全部が全部ソフト化されるわけではありません。
だからキャストを派手にしたり、ストーリーを単純明快にして、そういう表面的な分かり易さの部分で視聴者を取り込もうとしているわけです。
それを考えると、木更津は根本的にドラマ向きではないし、本放送で視聴率がとれなかったのもまあ当たり前といえば当たり前かなあと、ファンであっても(あるからこそ?)思ってしまいます。
キャストは地味。情報量は多すぎ。展開は早すぎて流し見不可能。

なのにDVDはバカ売れし、レンタル店ではいつでも貸し出し中。通販中心のグッズは売れ続け、とうとう映画化にまでこぎつけてしまいました。
告知にもあったけど、ホントにこれは奇跡的なことですよね。だってあの視聴率・・・(もういいって)。

木更津の世界観を楽しむためには、視聴者の方にも覚悟と能動性が必要です。
一度見で済ませたり、ながら見をしてたのでは、木更津の世界観に入りこむことは多分出来ない。

木更津が不幸だったのは、どうしても、新進気鋭の脚本家が書いているとか、映画みたいな質感で撮れるカメラを使っているとか、演出のトリッキーさとか、そういう表面的な目新しさばかりが取り上げられて、あまり中身を見てもらえてなかったところかもしれません。
「ドラマとしては新しいけど、中身はないよね」
みたいな評が雑誌に載ってたりして
「ちげーよ。分かってねーな。このライター。ちゃんと中身はあるんだよ。ただ、そんなものをストレートに出すのはこっぱずかしいから、隠しているだけなの。シャイなのよ。それを探してよ。1話につき3回は観て。そうすれば分かるから」
と言いたかったんですが、特にファンでない人は3回も観てくれない。

【ドラマの定石やお約束なんかやりたくない。カッコいいことはとってもカッコ悪い。ハードボイルドに酔いしれるのも、浪花節に涙するのも、40才過ぎてからで十分間に合う。20才には20才にしか、30才には30才にしか描けない世界がある。だからそれを今やるんだ】

というメッセージを私はこのドラマから感じたわけですよ。なんとなく。多分私の趣味も過分に入っているけど、そういう「何がいいと思うか」の感性の部分が凄く近いんだと思う。


登場人物達の間に流れる優しさとか切なさとか、限りなく笑いに近いところにある哀しみとか、やるせなさ。
そういった繊細な感情を、お祭り騒ぎの中にそっと、とても恥ずかしげにひそやかに忍び込ませているところが、私のツボをげしげしと押しまくってくれたのです。
それはもう、表現者達の美意識としかいいようのない感覚ですよね。
それは初見では分かりにくくて、何回か見返してみて初めて「ああ、そうか」と、ふわりとこちらの心の中に浮かんでくるようなとても微妙な感情で、それがとても心地良くて、思わずDVD箱で買ってしまいました。だって、手元に置いておきたかったんだもの。

劇場に足を運んで、お金を払って、頭痛くなるくらい集中して見て、それでも良く分からない部分は、仲間と情報交換して、ネタの意味を理解して、再度映画館にゴー。
そういう共犯者意識と行動こそが、この木更津の世界にはふさわしい。

この作品に出会えたことに感謝しよう。
多分私たちは、伝説が生まれる過程に立ち会っているのだから。
その答えが出るにはまだまだ時間がかかるけど、それまでこのどんちゃん騒ぎを楽しみましょう。

<back>  home





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送