木更津キャッツアイ 日本シリーズ

-- and that movement of the fan, by the fan, for the fan


どこぞの映画評論家が激怒していたなどという話も小耳に挟みましたが、まあ、そうでしょうねえ。
だってこれ、映画じゃないもん。
そもそもオリジナルのドラマ自体、ドラマの範疇からは逸脱しまくってたし。

ドラマの1話を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。
まるで耳から手を突っ込まれて、脳味噌の普段使ってない部分をぐりぐり刺激されてるみたいだった。

---なんて疲れるドラマなんだろう。でも、すっごく楽しい。気持ちいい。
そのファーストインパクトを、2年近くたつ今でも引きずっている。

それが今度は『映画』という媒体を借りて帰ってきただけなんだから、これが映画かどうかなんて、語ろうとすることそのものが無意味。
本当にこんなのは映画じゃない。
そんなちっちゃな話じゃない。

これはね。
【木更津キャッツアイ】という世界が、好きで好きでたまらない人たちが、よってたかって作りあげてしまった、ファンの、ファンによる、ファンのためのムーブメントなんだ。

木更津東映で、初日初回を見たとき、上映が終わった瞬間拍手が起こった。
池袋シネマサンシャイン三日目。平日の昼間の上映なのに、タイトルロールになっても、誰一人席を立とうとはしなかった。
映画館でこんな状態を経験したのは初めてだ。

一見さんお断りがなんぼのものかと、媚びずに、逃げずに、へつらわずに。
彼らは自分たちが「いい」と思えるものを、その感性と本能に忠実に作った。
それこそが、私たちファンが最大級に求めていたものであることを分かっていたから。
これ以上のファンサービスが他にあるだろうか。

ドラマの最終回を見終えたとき、『こんな凄いものを作ってくれて、本当にありがとう』と、私は心からの快哉を叫んだ。
だから不安だったのだ。
こんなにどうしようもないくらいに好きな作品なのに、下手に続編なんか作られて、その思いを台無しにされてしまったらどうしよう、と。

だけど、作り手達は分かってくれていた。ファンの期待も。希望も。そして不安も。
これだけ、作り手とファンの見ている方向が同じ作品を、私は他に知らない。

最後のタイトルロールを見ながら、私は泣けてきて仕方がなかった。
どうして涙が出てくるのか、いまだに分からない。
自分の心のどこかが刺激されているのは分かるのだけれど、その感情に当てはめるに相応しい言葉がどうやっても見つからない。
今でもこの文章書きながら、涙ぐんでしまっている。理由も分からないのに。
それくらい私の感情は今、めちゃくちゃにかき乱されているのに、それでもとても幸せだ。

本当にこの作品を好きでいられて良かった。
そのことに、心から感謝する。



***

あなたの目の前に、箱が置いてあることを想像して。
その箱には、『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』と書いたシールが貼ってある。
脚本家はその中に、リリカルで繊細な感傷を最初に入れた。
でも彼は、あまりにもシニカルでシャイだったので、
それをごまかすかのように、一見ジャンクにしか見えないようなものも、力の限りに詰め込んだ。
傍目にはそれと分からないように。
あなたは箱を開ける。
その瞬間、もの凄い勢いで予想もしなかったものが次々に飛び出してくるだろう。
そのスピードと量の多さに、惑わされないで、見極めて。
あなたが見たかったものが確かに、そこにはあるはずだから。

<2003.11.18>


HOME  BACK NEXT






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送