木更津キャッツアイ 日本シリーズ

---We 're glad to seeing your happiness.

<6回表・裏>

親友の行方よりも女を優先する分かりやすいぶっさん。
「チラ見すんなコラ。この恋は見せもんじゃねえんだよ」
植え込みにはまってるマスターに笑った。

ぶっさん、ユッケとの距離近すぎ。
私、この人凄まじく無自覚にタラシだと思います。
ていうか、予告もなしに突然エロエロオーラを放出するのはやめて欲しいわ。
ときめくから(ええ?)
そして韓国語での告白。
「ぜんっぜん、わかんねえ。ひょっとしておれ、ふられた?」
オウ、ディスコミュニケーション!

「うちのパパが言うんだ・・・」
パパ?
「韓国の女は、い〜い仕事するって」
で、いきなり脱ぐ。
しかも、モー子の時よりも3000回転くらい動きが早いし、めくってるし。
気持ちは分かるが、段取りくらい踏みなさいって。
せめてちゅーくらいしてからにしなさい。天然タラシのくせにムードがないぞ。
まあ若いからしかたないけど。時間もないし。
そしてそれを覗く熟年新婚カップル。
子どもの性生活を雁首揃えて覗くなっつうの。

「へえ、もう出回ってるんだあ」
気づかなかったのはアニだけじゃないのね。


<7回表・裏>

「つーかオジーがジョージなんじゃね?」
ものすごく珍しくアニが正しいことを言っているのに、誰も相手にしてない。うっちーまで。
ああ、ジョージ。君はオジーじゃなくてバンビになりたかったのね(微笑)。

<8回表・裏>

かっこよく変装を解いたのに、誰もいない。
店の床に落ちているオジーマスク。
館内爆笑。
それをかぶっているモー子の姿にさらに沸く館内。
ドラマではモー子が円陣に参加した時、ちょっとだけ「えー?」と思ったんだけれど(私は、男の世界に女が顔をつっこみたがるのは野暮だと思っているから)、もう映画ではそんなこと全然感じなかった。この娘ならいい。モー子なら許す、って思わせたのは、酒井さんの力なんだろう。

何故映画館の裏に秘密の地下室があるのかという話はさておき。ジョージ登場。
「思ったより微妙じゃね? なんか元の顔が地味っつーか」
やっぱり天然の美少年は、さらりと残酷なことを言いますね(笑)
うっちー、逆さ吊りでのフルスイングに場内爆笑。


<9回表・裏>

1年半振りのキャッツなのに、アウェイで、最初に撮ったシーンがこれじゃあ、確かにみんな、気持ちの持って行き方に悩んだろうなあ。
ってなことばっかり考えながら見てました。
私はこの映画内でぶっさんが死ぬなんて、全く全然これっぽっちも思ってなかったので(だって氣志團のギグもまだやってないし)、中途半端に知識を仕入れなければ、もっと純粋な目で見られていたのになあ、と後悔しました。

「せくす、いっかい、かに、いっぴき」
要約すると、
【キャッツメンは、はやい】
ということでOK?
まあ、しょうがないよね。若いんだから。
こうなったら持続力の無さは、回数でカバーだ(やめい)。
…冗談めかして書いてしまいましたが、ここで観客のひく音が聞こえたような気がしました。
私の気のせいであることを祈りたいです。

カニアレルギーなのに、気を使って食べられるようになった振りをするぶっさん(泣)。
そして浅瀬に倒れるぶっさん。
すげー。本当にびくともしないや。絶対息が苦しいと思うのに。
ぶっさんの死を認められない4人。次々にぶっさんを殴りつけます。
みんなひでーよー。特にアニ。
でもうっちーだけは、ぶっさんを殴ることも埋めることもできないのね。

しかし、カニのおかげでぶっさん復活。
感激の再会と思いきや、いきなり4人にカウンターパンチを喰らわせるぶっさん。
「おれ殴ってないのに」
2発ももらってたうっちーって・・・あんなにぶっさんにラヴなのに。
すげえ笑ったけど。
しかしこの調子だと、ぶっさん本番までにあと5回くらいは軽く臨死体験しそうな勢いだな。

ユッケとの再会の抱擁。
押し倒し方には色気がないくせに、抱きしめ方はやけにエロいぞ、ぶっさん。
「カニくさい(韓国語)」
「おれもだよ・・・愛してるよ」
やっぱり微妙にディスコミュニケーションなんだけど。やはり愛というのは、幸せな誤解の上に成立するものなのですね。でも幸せだからいいのさ。

<延長10回>

連ドラ9話でうっちーが言っていた「この国は危険に晒されているんだ」の「危険」の正体はこれだったわけですか。ていうか、それ伏線だったんですか。
・・・て、うっちーダディ、スパイの意味なくね? ていうかなんのスパイなんだよ何の。
オジーをそのまま復活させるのは禁じ手にしたくせに、なんで怪獣出すかなあ。幽霊の1000倍嘘くさいのに。
まあ・・・ひく人はひくだろうなあと思いながら見てました。

モー子パパ登場の瞬間、場内がざわつきました(笑)。
ふ、船英だよ、船英(略すな)。
なんかもうここまでくると、船英を出したいがためだけにゴミンゴ出したんじゃないかって気もしてきましたが、あながち間違ってなさそうなあたりがなんとも。
…オカリナも伏線だったんだ。


<ラストシーン>

「笑って」の声に、モノクロームの世界で微笑む彼。
シャッターの音と共に動きが止まるその瞬間、私達が見ていた世界は反転した。

ドラマの8話も、映画と同じ一枚の写真で終わっている。
橋の上で戯れる5人のカット。そして彼の実家での仕事場面。
永遠に続くかのような日常の風景が、ゆるゆると流れる。
そのつながりの先に唐突に現れた彼の遺影は、本当に衝撃でしかなくて、エンドロールが流れている間中、ただ呆然とするしかなかった。
【彼が死ぬというのは、ひょっとしたら何かの間違いかもしれない】
多分誰もが心のどこかで感じていた淡い期待は、そのワンカットだけであっさりと否定された。
この時点では彼の遺影は、彼の未来の断絶の象徴でしかなかった。

なのに映画では、その写真が私たちに与える意味は、全く違うものになっていた。
最後に彼が思わず浮かべた笑顔から、私は容易に想像することが出来る。

---きっと彼は、命の灯火が消えるその瞬間まで、カッコなんかつけたりせずにただこうやって、普通に生きていくのだろう。

美礼先生がジョージに告げた直接的な言葉よりも、彼の微笑みが何より雄弁にそのことを物語っていた。

一度目は終焉。二度目は持続。
同じ写真なのに、それが私たちに与えた印象は全く異なる物だった。
まるで騙し絵みたい。ドラマと映画という違う場所から眺めた画はこんなにも違う。

どうして、どうしてこんな風に、物語を閉じることが出来るんだろう。

私は元々あらゆるものの続編には否定的な人間だ。
だからこの作品に関しても、もうこれ以外の続編を見たいだなんて思わないけれど、だからこそ、『私たちを裏切らないでいてくれてありがとう』と、この作品に関わった人達全てに、最大級の賛辞を送りたい。

<2003.12.9>


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