Candid boy×Aggressive girl

 それは、彼らの高校生活最初の夏休みのことだった。
 
 その日は久しぶりの休養日だった。木更津第二高校の野球部一年生であり、後に地域限定泥棒ユニット<木更津キャッツアイ>を結成することになる五人は、揃って木更津の町に繰り出し、久々のオフをのんびりと楽しんでいた。
 その光景に出くわしたのは、日が暮れる頃、再び野球部の寮に帰る途中のことだった。
 駅前の古い商店街を抜けると、長い土手に出る。土手の下には、ゴミだらけの砂浜。さらにその先には海が広がっている。その海沿いの土手を、彼らは歩いていた。
 いつものようにワンテンポ遅れてついてきていた内山が、他の4人からかなり離れたところに立ち止まり、砂浜のあたりを凝視している。そのことに最初に気づいたのは公平だった。内山に駆け寄って声をかける。
「どうした、うっちー」
「・・・あ、あれ・・・」
 公平は内山の肩越しに、内山の指さす方向に視線を走らせた。
 視線の先には、半ば打ち捨てられた掘っ建て小屋があり、その陰に人のシルエットが見え隠れしている。落ちかけた夕日が逆光になっているので黒い人影にしか見えないが、どうやら男と女のようだ。
 なにやってんだよ、と言いながら、残りの三人も公平と内山の元にやってきた。
 男女の影は、近づいたり離れたり、小屋の後ろから出たり入ったりを繰り返している。
 佐々木が、
「ひょっとして、アオカンですかあ?」
 と、声を上げると、
「バカ、声がでけえよ」
 と、岡林が佐々木の頭を下に押しやり、それにつられて皆がその場に座り込み、事の成り行きを見守る羽目になった。
 土手の上にもその下の坂にも視界を遮るものが何もない以上、こちらから向こうが見えるように、向こうからもこちらが見えるはずなのだが、少なくとも向こうの男女はこちらにはまるで気づいていない。

 そのうちに、どうも様子がおかしいことに五人は気づき始めた。逃げようとしている女を、男が必死で押しとどめているような動きが繰り返されている。そのうちに女の影が突然糸の切れたマリオネットのようにがくりとくずおれ、男の影がその体を引きずるようにして小屋の陰に消えた。
 何かを期待してじっと見ていた五人だったが、男女の間に流れる異様な雰囲気を感じ取リ、そのことを真っ先に口に出したのはフトシだった。
「・・・なんか、やばくね?」
「やばいだろ!」
 叫ぶと同時に、公平は走り出していた。残りの4人もその後に続き、土手の斜面を駆け下り、砂に足を取られながら、朽ち果てそうな小屋に近づいた。
 小屋の横で、岡林の足がびしりと何かを踏みつけた。岡林が足を上げると、黒縁の度の厚い眼鏡が半分ほど砂に埋まっていた。足元の眼鏡をどうしようかと一瞬岡林が考えているところに、高校生くらいの男が、小屋の後ろからにゅっと顔を出した。そして、五人に気づくと、飛び上がるようにして後ずさり、思い切り顔をしかめた。実際には顔をしかめたのではなく、懸命に目を細めて五人の顔を見ようとしていたのだった。強度の近眼の人間が眼鏡を失った時に行う行為だ。
 小柄で、なんだか野暮ったい感じの男だった。無造作に伸びたばさばさの髪の毛はまだしも、Tシャツの裾をジーンズの中に入れてしまっているあたりがかなりいただけない。

「お前、何やってんの?」
 公平の問いに、男は逃げようとして勢いよく後ろを向いた。
 「あ」と声を上げる間もなかった。
 男は小屋の角に派手に頭をぶつけ、そのまま後ろに昏倒した。
 昔のマンガのようだった。
「俺のせいか?」
との公平の言葉に佐々木は
「だーいじょうぶだって」
 と軽くいなした。それに対してフトシが言う。
「なあ、でもこれってまずくね? 高野連にチクられたら、暴力行為とかで試合に出られなくなるんじゃ?」
「平気だろ、こうしとけば」
 そう言って岡林は、足許の眼鏡をぐしゃりと踏みつぶした。
「これで、俺らの顔なんか分からねえよ。それに、俺らまだ何もしてないし」
「それより、女は?」
 公平の発言に、慌てて皆は小屋の周辺を探した。そして小屋の中で、目隠しと猿ぐつわをされ、後ろ手に縛られた女が倒れているのを見つけた。そばには、電気シェーバーのような物が落ちていた。形は似ているが、全く異なる用途で使われるものーーースタンガンだった。岡林がぽつりとつぶやく。
「・・・これじゃあ、こいつもどこにもチクれねえな」

 外で伸びている男が女にしようとしていたことを想像すると、胸の悪くなる思いだったが、誰もそのことは口にせず、その代わりに岡林は女に近寄ると、手首のロープをほどき始めた。
 意識を取り戻したらしく、女が身じろぎをした。猿ぐつわを外し、目隠しを取る。そして、岡林は声をかけた。
「だいじょ・・・」
「てめー、ざけんじゃねえよ!」
 次の瞬間怒声と共に、岡林の顔面に女の右の拳が綺麗にヒットした。

「だから、悪かったっつってんだろ。間違えたんだよ!」
 ほとんど逆ギレしたかのように居直っている女に対して、公平は内心の憤りを隠さなかった。
「それが悪いと思ってる態度ですか!」
「まあまあ、ぶっさん。俺なら平気だから。それより怪我はないですか。二校の人ですよね。俺、先輩の顔知ってますよ」
 にらみ合っている公平と女の間に入ると、そう言って岡林は二人を取りなした。そして、女の顔をのぞき込むように見つめると、にっこりと笑った。
 その左目の周辺は、派手に腫れ上がっていたけれど。

 ぶん殴られたにも関わらず、岡林が女に好意的な感情を持ってしまったのは明白だった。嬉々として女に話しかけている岡林を遠巻きに眺めながら、他の4人が内心思っていたことは一つだった。 

 ひょっとしてこいつマゾ?

 成り行き上、というよりも岡林が強く主張したため、5人は彼女を家まで送り届けることになった。彼女は岡林が言っていたとおり、木更津二校の上級生だった。その髪色はほとんど金色に近く、化粧も必要以上にけばけばしく、見た目はコギャルというよりもむしろヤンキーに近い。それでもなお、彼女は人目を惹きつけるほど整った顔立ちをしており、一部の男子生徒の間では、結構な人気を誇っているらしかった。

 彼女ーセツコがどこであの男に見初められてしまったのかは、良く分からないのだと言う。ふと気がついたら粘着質な視線を頻繁に感じるようになり、気のせいかと思っていたら、視界に近所の進学校の制服を着た男が入ってくるようになり、なんなんだと思っていたら、その男から手紙を渡され、砂浜に呼び出された。
 
 進学校の秀才が、底辺校のツッパリ少女に抱いた恋心。それだけなら、少女漫画の題材になってもおかしくない設定ではあるが、そんな微笑ましいものでは済まされないのは、男に基本的な対人関係調整能力が備わっていなかったからだ。強引なアプローチは、その主に人間的な魅力があるなら好ましいものにも思えるが、そうでない場合はただの迷惑行為でしかない。「突き合おう」と言われたが、その男のことを全く知らなかったので断ったところ、突然相手は逆上して襲いかかってきた。もみ合っているうちに、強い衝撃を腹部に受け、意識を失った。

 という話を、道すがら懸命に聞きだしていたのは専ら岡林だった。セツコの話を聞いているうちに、彼はどんどんエキサイトしていってしまい、
「心配するな! 俺が先輩を守ってやる!」
 と高らかに宣言して、仲間達を呆れさせたのだが、肝心のセツコといえば、以外と満更でもなかったらしい。
「ボディーガードやりますよ、ボディーガード!」
との言葉にも、
「冗談だろ」
と言っただけで、明確な拒否は示さなかった。

 数日後。
 雑用をさせられるのは1年生の常。真夏の太陽が燦々と照りつける中、5人はグラウンドの隅で草むしりに追われていた。
 
「お前さあ、セツコ先輩のどこがいいわけ?」
 額からしたたり落ちる汗を拭いながら、公平は隣で草をむしっている岡林に聞いた。その言葉にぴくりと反応して、岡林は顔を上げた。殴られた初日には赤く腫れていた左目の周辺も、今は大分色が薄れて、黄色みを帯びたあざに変わってきていた。あと数日もすれば、ほぼ元の皮膚色に戻るだろう。
「なんていうかさあ・・・かわいいんだよね」
 虚空を見つめてうっとりと、夢見るように岡林は語った。

 一人違う世界を見ている岡林は放置し、残りの4人は少し離れたところで円陣を組んで座り、顔を突き合わせてひそひそ話を始めた。
 佐々木が言う。
「いや、確かに顔はいいかもしれねえけどさあ。ヤンキーだぜ」
「ス、ススス・・・スケ番?」
「古い」
 笑いながら佐々木は内山の頭を叩く。その隣で、公平はあごに手をやり、したり顔でつぶやいた。
「恋はもうろくというやつだな」
「盲目だろ! もうろくしてどうすんだよ」
 すかさずフトシのツッコミが入る。
「うるせえな、意味は同じだろ」
「ぜんぜんちげーよ!」
 三人がそろって公平にツッコミを入れたところで、岡林がわめき始めた。
「あーもうお前らうるさいんだよっ。人がせっかく幸せな気分に浸ってるのに!」
「一人で勝手に浸ってるんじゃねえよ!」
 座ったままぐちゃぐちゃと5人がもみ合っているところに、猫田の怒鳴り声が飛んできた。
「バカヤロー、お前ら猫みたいにじゃれあってるんじゃねえ!! 作業しろ作業!」
「ういーっす!!」

 岡林とセツコは、なんだかんだでうまくいってしまったようだった。

 2学期が始まってから、放課後、野球部の練習風景をグラウンドの隅に座って見ているセツコの姿が何度も目撃されるようになった。そういう日は大抵、練習終了後に岡林の姿が消え、夕食の頃に寮にこっそり戻ってくる。
「その後、セツコ先輩とはどうなんだよ」と悪友達が聞くと、嬉々として状況を教えてくれるので、聞いてる方は食傷気味になり、いちいち聞くこともなくなった。おちょくりは、相手が照れたり嫌がったりするからこそ楽しいのであって、向こうからノロケてくるのなんか聞きたくはないのである。

 トラブルは、忘れた頃にやってきた。

 その日も何事もなく野球部の練習が終わり、片づけを終えた1年が部室で着替えていた。岡林の姿はそこになく、その場合、風呂とトイレ掃除の担当が岡林になることは暗黙の了解だったので、そのことで騒ぐ者はいなかった。
 外で足音が聞こえた。こちらに近づいてくる。その音と共にドアが勢いよく開かれ、そこに呆然とした表情の岡林が立っていた。
「セツコ先輩がいない・・・」

「あんだよ、ノロケに来たのかよ」
「待ちきれなくて帰ったんじゃないの?」
 佐々木とフトシの言葉に、岡林は激怒した。
「バカ! 先輩はなあ、ああ見えてスゲエ律儀なんだよ。一緒に帰るって約束したのに、勝手に帰るような女じゃないんだ!」
 脱いだユニフォームを手にした公平が、他の4人に言った。
「おいお前ら、さっさと着替えろ。探しに行くぞ」
「ぶっさん・・・」
 びっくりしたような顔で自分を見上げる内山をちらりと見て、公平は言葉をつなぐ。
「まあ、前のこともあるし、一応念のために・・・な」
  
 少なくとも練習の最中に、グラウンドの端でフェンスに背を向けて座っているセツコの姿は目撃されている。練習後の片づけの時には、もういなかった。校内を手分けして探したが、セツコの姿はどこにもない。電話もつながらない。彼女の帰宅を確認するため、家まで行ってみることにした。
 セツコの家へと続く海沿いの道を5人が走っていると、突然内山が後ろから公平の首根っこに飛びついた。腕で首を絞められ、公平の首が後ろにのけぞる。
「ぐえっ、なんなんだよおまえはっ!」
 思わず裏拳で殴ってしまった。内山は額を押さえながら、それにもめげずに斜め前方を指さす。
「ぶ、ぶぶぶぶぶっさん・・・あ、あれ」
 砂浜に二組の足跡が点々と残っている。まだ新しいものだ。
「でかしたうっちー!」

***


 
 夏休みに起こった事件のことは、ほとんど忘れかけていた。だが、それが未遂ですんだのは、たまたま運が良かったのだ。
 背中に固く尖った切っ先が突きつけられた時に、彼女の頭に浮かんだのはそういう思いだった。
 刃物が自分の体に突き刺さることを想像して、体から血の気がすうっと引いた。視線の先に、野球部員達がランニングをしている姿が見える。大声を出せば聞こえるかもしれない。だが、その瞬間取り乱した男が自分を誤って刺してしまう可能性もある。
 顔を下げ、そのまま後ろに視線をずらした。他校の制服の裾が見えた。今度は視線をゆっくりと上げる。見知った男の顔があった。黒縁だった眼鏡はべっこう柄に変わっていた。一体今時どこで見つけてきたんだ、と聞きたくなるほど、あか抜けないデザインだった。
「・・・声を出すなよ。ゆっくり立って僕の言うとおりにするんだ」

 男はこのあたりに土地勘がないらしい。この間と同じように海辺の道を歩かされ、同じように砂浜に降りるように言われた。そしてまた、人気のない小屋に連れて行かれそうになっている。芸がない。
 セツコの方には言いたいことが山ほどあったが、文字通りナントカに刃物な状況だったので、取りあえず黙ってついていった。

「なんで僕に色目を使ったんだ?」
「あ?」
「とぼけるな。電車の中で僕のことを意味ありげに見て、そのまま視線をそらしたじゃないか。僕の気を引きたくてそんなことをやったんだろ」
「はああ?」 
 話が全く見えないが、どうやらこの男は甚だしく自意識過剰な勘違いをしていたらしい。
「つーか、アタシはあんたのことなんか全然知らないしキョーミもない。こんなことするかフツー」
「ぼっ、ぼくだけじゃなくて、年下の男までたぶらかしてるんだな!」
「人の話を聞けよ! 誰がいつてめえのことをたぶらかしたんだ」
「あっ、あんな男、ちょっと背が高くて、ちょっと顔が良くて、ちょっとスポーツやってるだけじゃないか!」
「それだけ負けてりゃ充分だ。ばーか」
 その言葉で、彼はキレた。
 勉強では誰にも負けたことがなく、親や教師にちやほやされ続けて、天よりも高くそびえ立っていた彼のプライドがぽっきりと折られたのだ。
「うるさあい。このメス豚あ。おまえなんか、おまえなんか、こうしてやるう」
 逆上した男は、右手のナイフを振りかざした。

 セツコは思わず両目を閉じた。
 両足から力が抜け、彼女は砂の上にしりもちをついた。その頭上をナイフがかすめ、後ろの小屋の壁に突き刺さった。それとほぼ同時に、ゴツンという鈍い音がした。
 セツコの体に覆い被さるように立っていた男の体がゆっくりと揺らいだ。その右手はナイフから離れ、持ち主を失ったナイフを壁に残し、彼の体は、どうと横向きに倒れた。

「?」

 状況がつかめないセツコの足元に、野球ボールが突如出現していた。 
「ナイスピッチング、バンビ!」
 聞き慣れた人間の声がして、同じ高校の後輩達が砂浜を走ってくるのが見えた。
 彼女は安堵の吐息をついた。

***

「まったく懲りない男だなこいつは」
 白目をむいて倒れている男の頭を岡林は足でこづいた。
「どうする?」
「取りあえず埋めとくか」
 佐々木の言葉に、岡林はそう答えた。

 気絶した男の体を海辺に引きずっていって、顔だけ出して体を砂に埋めた。運が良ければ満潮までに目が覚めるだろう。念のために警察にも電話をしておいた。彼の側に落ちているナイフのことでみっちりと警察に絞られたなら、頭を冷やすきっかけくらいにはなるかもしれない。

「さーて、こんなところにいつまでもいても仕方ない。帰りましょう帰りましょう。・・・先輩、どうかしました?」
「・・・・・」
 岡林の言葉にも、セツコは座り込んだまま答えない。
「ひょっとして腰が抜けたんですか!?」
 すっとんきょうな声で尋ねる岡林はなんだか嬉しそうだ。
「うるせえ、いいからもう帰れよ!」
「俺は帰れるけど、先輩帰れないじゃないすか」
「余計なお世話だ。殴られたいのか?」
「まあまあまあまあ、落ち着いて。ところで先輩、おんぶとだっこ、どっちがいいですか?」
「ああ?」
「家まで送りますよ」
 岡林は両手を体の前で大きく広げ、満面の笑みを浮かべてセツコに言った。
 セツコはひきつった表情を浮かべると、助けを求めるように辺りを見回した。しかし岡林以外の四人は既に二人に背を向け、にやにや笑いながらフェイドアウトしていくところだった。
 逃げられない。

「・・・・・・おんぶ」
「いいっすねえ。どんどん後ろから抱きついちゃってください」
「やっぱり、だっこ・・・」
「いいっすねえ。お姫様だっこやりますよ。結婚式みたいじゃないですか」
「・・・他にはねえのかよ」
「オプションで肩車っていうのもありますけど、先輩スカートだしなあ。俺はぜんっぜんかまわないですけど」
「・・・・・・・・」

 結局お姫様だっこになった。

 暮れかけた夕日が、土手の表面を固めたコンクリートに、重なった二人の影を長く落とす。影の持ち主は、笑いの止まらない岡林と、その腕の中で苦虫を十匹ぐらいまとめて噛み潰したような表情を浮かべているセツコである。
 再度どこからか沸いてきた残りの四人は、ひゅーひゅーいいぞーと、半ばやけくそのように、背後から二人をはやし立てた。
「みんな、ありがとー。ボクたち幸せになりまーす」
「てめえら絶対いつか殺す!」
「うごかないうごかなーいい。落ちちゃいますからね」
 そう言って岡林は、腕の中のセツコを抱え直し、首を後ろに傾げると悪友達に言った。
「なあ、この構図って、すっげえドラマっぽくない?」
「ふざけんなー。さっさと行っちまえ!!」
 声を合わせて、独り者な連中達はわめいた。
「わははは。じゃーなー」
 夕焼けを背景に、二つの影は小さくなっていき、やがて消えた。

 公平がぽつりと言う。
「なんか、青春だな」
「ほんと」
 フトシが答えた。

「結婚するんだ」
「誰が?」
「俺が」
 その言葉に、公平は読んでいた漫画から目を上げ、岡林の顔を見た。他の3人も同じように岡林の方を見た。

 地区予選決勝敗退。
 高校生活最後の試合は、それで終わった。
 野球部を引退し、部室からも寮からも追われた彼らは、いつしか校舎の屋上をたまり場にし、そこでだらだらと時間をつぶすようになった。そこで彼らは、現役時代には決して手をつけようとしなかった煙草の味を覚えた。
 それまで生活の大半を占めていた部活がなくなったことで、彼らの中に空いた穴はぽっかりと大きく、引退から一ヶ月以上たった今になっても、まだその隙間は埋められない。
 決勝戦以来、公平とフトシの中はぎくしゃくしていた。五人の中でフトシだけはスカウトが来ただの、いややっぱり大学に行くだのでごたごたしていて、五人で揃う機会はめっきり減っていた。
 だが、この日は珍しくフトシの方から屋上にやってきていて、何事もなかったかのようにイヤホンで音楽を聴いていた。ひょっとしたら、岡林が声をかけていたのかもしれない。多分、その時を見計らって、岡林は突然話し始めたのだろう。

「なんで?」
 言いながら、なんだか間抜けな台詞だと公平は思っていた。
「いや、子ども出来ちゃって」
 その時岡林を除く全員の頭の中は、『ナマでやったのかよ!』という嫉妬と羨望に満ちた怨嗟の声で占められた。
 仲間達の視線と沈黙に耐えきれず、あたふたと岡林は言い訳を始めた。
「ほら夏の大会ダメだったじゃん。さすがにちょっとばかり落ち込んでたら、先輩が慰めてくれてさあ。そんなこんなでいい雰囲気になっちゃって、つい・・・」
「なにが『つい』だ」
 岡林の頭を、公平がべしりと叩いた。
 なんだか泣きそうに裏返った声でフトシが聞く。
「それでどうすんだよ、赤ちゃん」
「だから、結婚するって言ってんだろ!」
 叩かれた場所を押さえながら、岡林はほとんど逆ギレのようにわめいた。
「お前・・・ホントにそれでいいの? 俺らまだ18だぜ」
 佐々木の言葉に、
「いいよう、別に。だって俺、セツコ先輩のこと好きだもん」
 いけしゃあしゃあと岡林は答えた。
 残りの四人は、呆気にとられるしかなかった。
 そして、それぞれがそれぞれに考えを巡らす。
 自分といえば、目の前に広がった空白の時間を、ただ呆然と眺めるしかなかったというのに、岡林は一人、さっさと自分の人生を決めてしまった。自分にはそんな決断をすぐには出来ないし、したいとも思わないけれど、『好きだから一緒になる』というそのシンプルさを、ある意味で羨ましいとも思った。

 卒業から数ヶ月後、二人の間には元気な女の子が産まれた。
 名前は『勇気』。有名な野球マンガのヒロインにちなんで名付けられた。仲間達からは「安直だ」とひんしゅくを買ったが、当の岡林は「いい名前だろ」とうそぶいていた。
 次の男の子は『美寿太』。誰も口には出さなかったが、内心「ダセエ」と思っていた。
 三番目の子どもは、夭逝することが運命づけられていた、身近な仲間の名前をもらった。

 人は二度死ぬという。
 一度目は、物理的な死。二度目は、友人達の口にその名が上らなくなった時。
 そんなことを意識していた名付けたわけではないけれど、若い夫婦の傍らで、無邪気に遊ぶ子どもの名前を口に出す度に、誰もが彼のことを思い出す。


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